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説教

(動画)安心してゆだねて(ヨハネ福音書10章1~10節)⁻復活節第4主日

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作成者 최고관리자 作成日20-05-02 19:36照会418회 댓글0건

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https://youtu.be/bV-7tH6W7JQ
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埼玉分区ルーテル教会、池上ルーテル教会
司式:李正雨牧師
説教:笠原光見牧師

聖書の中には神さまと私たち人間の関係を、羊飼いと羊の関係にたとえて記されている箇所がいくつもあります。有名な箇所は詩編23編があります。「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と詩編記者は歌います。この詩編記者と同じように、私たちが心から固い信頼を寄せ、すべてをゆだねきることのできる存在がいることを告白できたなら、厳しい現実のただ中にあっても、あまり動揺することも、混乱することもないように思います。そして、買い占めをしたり、独り占めしたりすることもなく、穏やかに、和やかに、安心して、羊飼いにすべてを委ねて過ごすことができるのではないでしょうか。
今日のヨハネによる福音書の10章も、神さまと私たち人間との関係を羊飼いと羊の関係にたとえて、神さまが私たちに絶えず注いでいる思いやり、やさしさ、あたたかさに満ち溢れている箇所です。

羊はとても弱い動物で、ひとりで生きていくことはできないし、自分で敵の攻撃から身を守る力もありません。たとえ、群れをなしていても一匹のオオカミに対して抵抗することができずに追い散らされてしまうような弱いものです。羊が安心、安全、安泰に生きるためには羊飼いが必要なのです。私たち人間も羊のように一人歩きのできない弱く、脆く、未熟なものでしょう。私たち自身の周囲にも、また、私たち自身の内側にもさまざまな敵があり、誘惑があり、つまずきやすく、倒れやすく、傷つきやすいのが私たち人間なのではないでしょうか。神さまはそのような私たちをほうっておけないし、支えたい、守りたい、救いたいのです。だから神さまは今日も私たちの羊飼いとして語りかけ、働きかけ、生きる力と勇気とを与えてくださるんです。

羊飼いは自分の羊に名前を付け、我が子のように愛し、育て、養い、その大切ないのちを懸命に守るそうです。僕は羊を飼ったことはありませんが、実家では犬や猫を飼っていて名前を付けて、食事をあげて、可愛がっていました。飼っていた犬や、猫が亡くなったり、いなくなったりしたときには寂しい思い、悲しい思いもしました。なぜなら犬や猫も家族の一員で、愛する大切な存在だからです。みなさんの中で、犬や猫を飼われているという方は、羊飼いが羊に名前を付け、我が子のように大切にし、愛しているということには、よくよく共感できるのではないでしょうか。

神さまは私たちのことを我が子のように思い、否、我が子として大切に思い、深く愛しておられます。その神さまの、私たちへの抑えきれない思いと、もうどうにも止められない大きな愛は、イエス・キリストを通してこの世界に、そして、私たち一人ひとりにはっきりと表されました。神さまは、あなたのことが愛おしくて仕方がないし、あなたのことを守りたい、支え、力づけ、勇気づけ、救いたくて仕方がない。その神さまの抑えきれない溢れだした思いと、愛とが、イエス・キリストによってはっきりと示されたのです。

イエスさまは言います「わたしが来たのは、羊がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるためである(10節)」と。「わたしが来た」、そうですイエス・キリストは来られたのです。愛する羊のために、愛する私たちのためにイエス・キリストは来られたのです。神さまは、私たちに絶えず注ぎ続けているまなざしと、限りない愛とを伝えるため、届けるため、知らせるためにイエス・キリストを与えてくださったのです。神さまが、イエス・キリストをこの世界に、私たちに与えてくださったのは、私たちが、イエス・キリストの十字架と復活の出来事にあらわされた神さまの限りない愛と、ゆるしと、永遠のいのちの約束を信じて、安心して、すべてを委ねて、豊かで、充実した、平安のいのちの日々を送ってほしいからです。

「わたしが来たのは、羊がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるためである」というイエス・キリストの言葉は、羊のために、私たちのためにご自身のいのちを与えることも、私たちの救いのためにいのちを捨てることも、すべてを差し出すことも厭わないというイエス・キリストの宣言です。

羊飼いは、オオカミなどの敵を前にして防御する力もなく、不安と恐れに怯え、逃げまどう羊を、見て見ぬふりをすることなんてできないし、「助けてもらいたかったらここまで来い」なんて言わない。大切な羊の傍に駆け寄って行き、身を挺して、身を盾にして、守ろうとするのです。弱くて、脆くて、未熟な羊を、私たちを守るために、支えるため、救うためにキリストは来られたのです。「救われたかったら、お前がこっちに来い、そうしたら救ってやる」じゃないんです。イエス・キリストは「あなたを救うためために、わたしが来た」と言うんです。羊飼いである主イエス・キリストは来て、近づいて、傍にいて、離れず、私たちに語りかけ、働きかけ、いのちの拠り所となり、生きる力、生きる勇気を与え、支え、助け、守ってくださる。

誰だって愛する者を、大切な存在を、誰かに奪われたり、傷つけられたりするのはゆるさないでしょう。羊飼いは自分の羊を盗まれたり、屠られたり、滅ぼされたりするのを決してゆるさない。私たちの羊飼いである主イエス・キリストは、私たちのいのちを、この世の誰にも、何ものにも渡さないし、それが死であろうとも奪うことをゆるさない。
イエス・キリストは私たちを守るために来てくださった。私たちを救うためにすべてを差し出してくださった。だから信じて、すべてを委ねて生きることができる。私のいのちの舵取りを主イエス・キリストの御手にまかせて、安心して生きることができる。これまでのいのち日々も守られてきたし、これからのいのちの日々も主は必ず私を、そしてあなたを、支え、助け、守り、導いてくださる。

私たちは、私たちの救いのために来てくださり、ご自身のすべてを差し出してくださり、こうしてこの礼拝に私たちを呼び集め、語りかけ、働きかけてくださる主イエス・キリストを信じて、キリストの愛の御手にすべてを安心してゆだねて、いつでも先頭に立って進み行かれる(4節)主イエス・キリストの後に従い生きていきましょう。最期に詩編23編を読んで終わりたいと思います。

詩編23編
主はわたしの羊飼い、わたしには欠けることがない。
主はわたしを緑の野に休ませ、憩いのほとりに伴い、
わたしの魂を生き返らせてくださる。
主はみ名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても、
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
いのちある限り、恵みと慈しみとはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り、いつまでもそこにとどまる。

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E-mail:ljwman94@naver.com(イゾンウ師)

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