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説教

(動画)「肢(てあし)」マタイ9:35~10:8(2020. 6. 14. 聖霊降臨後第二主日)

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作成者 최고관리자 作成日20-06-13 18:57照会370회 댓글0건

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https://youtu.be/5493IRLogSw
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2020. 6. 14. 聖霊降臨後第二主日
場所:浦和ルーテル教会
司式:李正雨牧師
説教:「肢(てあし)」 笠原光見牧師
聖書:マタイによる福音書9:35~10:8

やっと、先週6月7日から、教会に集まっての礼拝が再開されました。本当に嬉しいことです。久しぶりの教会に集まっての礼拝だったので、張り切りすぎて、気合が入りすぎて、疲れて二、三日体がだるかったです。教会に集まり、皆さんと共に礼拝に与ることはとても嬉しかった。そして、その日に浦和教会では堅信式があったんです。このことも本当に嬉しかった。神さまの愛を受けて、堅信式に至るまですくすくと成長してくれたことに感謝。そして、この世に生を受けて、今の今まで守り、支え、導いてくださった神さまに感謝しました。

堅信式の式文にはこういう言葉があります「私たちの主イエス・キリストは、洗礼によってあなたを受け入れ、キリストの体である教会の肢(てあし)としてくださいました」。神さまは、あなたのことをキリストの体である教会の肢(てあし)としてくださった。積極的に言えば、神さまはあなたをキリストと一体としてくださった、ということでしょう。身体はさまざまな器官からなっています。その一つひとつはなくてはならないもの、大切なもの、不可欠なものです。そのように、神さまは、あなたのことを、私たちのことをなくてはならないもの、大切なもの、不可欠なものとして、召し集め、受け止め、愛してくださっているのです。

先日こんな話を聞きました。電車での忘れ物は毎年すごい量だという話です。その大量の忘れ物を毎年処分しなければならない。どうして毎年大量の忘れ物を処分しなければならないか。それは当然みんなが忘れ物をしてしまうから。だけどこうも言うことができる。忘れ物をした人が、忘れ物を引き取りに来ないから、毎年大量の忘れものを廃棄しなければならないんだ、と。なんでみんな忘れ物を取りに行かないんですか。自分にとってなくてはならない物、大切なもの、不可欠なものではないからでしょう。どうでもいいし、なくてもいいし、それほど大切なものではないからではないですか…。

今日の聖書箇所でイエスさまは「町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。(35節)」とあります。イエスさまは町や村を残らず回って人々に福音を伝えた、神さまのこの世界と私たち一人ひとりに向けられている限りない無償の愛を伝えたんです。どうしてですか?もちろん一人残らず救いたいからでしょう。どうでもいいいのちの存在、なくてもいいいのちの存在、大切でないいのちの存在は一人もいないからです。だからイエスさまは町や村を残らず回って人々に神さまの思いを伝え、神さまの愛を届け、あらゆる病や、患いをいやされたのです。あらゆる病や患いがいやされるのを見て、みんな驚いたでしょうね。感動したことと思います。しかし、いやされた者たちがもうほかの病気にならないとは限らないし、永遠に生きることはどうしてもできない。しかし、肝心なこと、重要なことは、神さまがあなたに深い憐れみの思いを絶えず向けていてくれているということ、神さまはあなたのことを大切に思い、とても愛しているのだ、ということです。

神さまによってこの世界に、私たちのもとに遣わされたイエス・キリストこそ、神さまの肢(てあし)であり、神さまの私たちに向けられている深い憐れみ、限りない愛、永遠のいのち、そのものです。だからイエスさまの言葉を耳にし、イエスさまに触れていただいたものたちは、大いに慰められ、励まされ、いやされ、生きる力、勇気、希望をいただき、新たないのちを生きるようになったのです。
私たちも、誰ひとり漏れることなく、神さまの深い憐みと、尽きない愛と、永遠のいのちの約束をいただいているものです。すべて無償で、無条件でいただいたものです。何かの試験に合格しなければならなかったわけでもないし、大変な修行を積んだからでもないし、壺や、掛け軸、お札などを購入したからでもない。神さまは、私たちを、ありのままで、あるがままで、無くてはならないものとして、大切なものとして受け止め、受け入れ、愛してくださっている。だから今日も、今、このときも、神さまは私たちの心に語りかけ、働きかけ、触れてくださり、慰め、励まし、いやし、生きる力、勇気、希望を与えてくださるのです。神さまは、深い憐れみと、限りない無条件の愛、ゆるし、永遠のいのちの約束を、私たちに届けたくて、知らせたくて、伝えたくて仕方がない。だからこの世界にイエス・キリストを与えてくださり、弟子たちを召し、遣わして、神さまのみ心、愛と、恵み、祝福とをあらゆる人々に伝えていったのです。

イエスさまが使徒として召し集めた弟子たちを見てみると、元漁師がいたり、元徴税人がいたり、過激派に属していた者がいたり、そしてイエスさまを裏切る者もいたり、とても個性豊かで、色とりどりのメンバーなのです。この個性豊かな使徒12人を見て分かるのは、神さまの深い憐れみと、限りない愛とは、誰をも区別も差別も、分け隔てもしないのだ、ということでしょう。

今日の聖書箇所だけを見ると、福音宣教はある地域と民族に限られたものであったかのようにとらえられてしまいそうですが、この時はまだイエス・キリストの十字架と復活の出来事の前でしたから、イエスさまは「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい(10:6)」と弟子たちに言われたのです。先週の福音書の箇所では、十字架と復活の出来事の後でしたからイエスさまは弟子たちに「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい(マタイ28:19)」と言われています。神さまはある特定の国や民族、宗教、性別の人だけを視野に入れている、受け止めている、愛しているわけではありません。イエス・キリストはこの世界のすべての人に与えられた救い主です。神さまは、すべての民にまなざしを向けているし、すべての人に憐れみと愛とを向けています。

弟子たちはイエス・キリストの使徒として、肢(てあし)として、派遣されました。元漁師だった弟子が特別何かができるわけではなかったと思います。はっきり言ってしまえば神さまが遣わされたのですから、弟子たちが何もしなくても神さまの力によって奇跡は起きたでしょう。ただ、何よりも人々の心を力づけ、勇気づけたのは、弟子たちを通して示された、神さまの深い憐みと、無償の愛とが自分にも向けられているということを人々が知ることができたことではないでしょうか。
神さまは、この世界に与えてくださったイエス・キリストを通して、聖霊を通して、教会を通して私たちに宣言します。あなたは、いなくてもいい、消えてもいい、どうでもいい存在なんかじゃい。神さまは、あなたのことを無くてはならない、とても大切な存在として、いつでも心を向け、まなざしを向け、限りなく愛し、いつまでも共にいる。

今、世界では「With corona(ウィズ・コロナ)」なんてことが言われています。これからはコロナと共に生活をしていかなければならない、というわけです。そんな現実のただ中に生きる私たちに、神さまは聖書を通して深い憐れみと、限りない愛を示してくださり、「With JESUS(ウィズ・ジーザス)」、イエス・キリストと共に生きることを伝えるのです。キリスト共に、キリストの体として、キリストの肢(てあし)として生きて、神さまの深い憐れみと、無償の愛を思いめぐらしながら、互いに仕え合い、支え合い、祈り合い生きていくことで、神さまは私たちの人生を豊かに祝福し、穏やかで、和やかで、平安な毎日を送ることができるものとしてくださるでしょう。私たちは、神さまから与えられる一日一日を感謝して、それぞれのいのちを大切にして、ウィズ・ジーザスで、主の肢(てあし)としてこれからも共に生きていきましょう。

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