休ませてあげよう(マタイ11:16~19、25~30)-2020. 7. 5. 聖霊降臨後第5主日 > 説教

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休ませてあげよう(マタイ11:16~19、25~30)-2020. 7. 5. 聖霊降臨後第5主日

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作成者 최고관리자 作成日20-07-07 11:20照会523회 댓글0건

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キリスト教の特徴の一つは、神という存在を、イエス・キリストという人物を通して知ることができるということです。そして、このイエスという人物は、キリスト教の中で特別な地位を占めています。まさに神の子であるということです。イエスさまは神の子として私たち人々のところに来られ、神さまについて教えてくださいました。しかし、思ったより多くの人々の反対がありました。イエスさまの教えが、既存の教えと違ったこともあったし、宗教指導者たちによって誤解されたこともあったからです。でも、時間が経ち、イエスさまの教えに従う人も増えていき始めました。そしてこれによって、多くのことが起こりました。イエスさまに従っている人と反対する人の間に分裂が起こったり、イエスさまに従っている人は疎外されたり、不利益を受けたりしました。それで、イエス様は、今日の福音書でこのように言われます。16〜17節の御言葉です。
「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』」

先週の説教でも申し上げましたが、イエスさまは分裂を望んでおられませんでした。
ところが、イエスさまに従うという理由で、弟子たちは、共同体から疎外され、従っていた人の何人かは追放されたこともありました。イエスさまがなさったことは、神さまの言葉を伝えただけでした。しかし、宗教指導者とその支持者たちは、その教えを良く思いませんでした。自分たちと違う教えを受け入れなかったのはもちろん、イエスさまの教えが律法に反していると思っていたからです。さらに、当時には神への知識と働きが力と出世につながっていました。だから彼らは、自分たちが持っている力と地位を維持するために、人々に人気があったイエスさまに対して反対したのだと思います。そもそも、イエスさまの教えを受け入れようとする考えがなかったのです。それで、イエスさまは、彼らが何もしてくれなかったと言われたのです。そして、彼らが言っていることがいかに言葉に誠実さがないことかを言われます。
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」

鼻にかけたら鼻輪、耳にかけたら耳輪ということわざがあります。
当時の宗教指導者とその支持者たちの態度がそうでした。他の見方を聴こうともしなかったし、自分たちの言葉に反する人には、悪霊に取りつかれたと世論に訴えました。洗礼者ヨハネは、悪霊に取りつかれたと言って、イエスさまは大食漢で大酒飲みであり、徴税人や罪人の仲間だと言いました。皆さん、イエスさまが聞かれたこの言葉がどこから来た言葉なのかをご存知でしょうか。放蕩して悪者に下された裁きの言葉です。申命記21章20〜21節にはこう書かれています。
「町の長老に、『わたしたちのこの息子はわがままで、反抗し、わたしたちの言うことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです」と言いなさい。町の住民は皆で石を投げつけて彼を殺す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。』」

宗教指導者たちの言葉の意味が何だったかお分かりになったでしょう。
イエスは放蕩な者なので、石打ちにして殺すべきだという話を巧みに言い回したのです。彼らはまるで正しくない政治家のようでした。自分たちが研究した律法の知識を持って巧みに人々を扇動しました。そして、このような扇動によって、当時の律法は人を戒めて、抑圧する律法になってしまいました。自分の利益のためなら、神さまの言葉も変える人、自分の力を維持するためには、弱い者でも迫害する人が彼らでした。そして残念ながら、彼らの手には律法、つまり、神の言葉が握られていました。彼らはその律法を持って民たちを治めました。人のための法律ではなく、人を抑圧する律法がイスラエルを治めていたということです。

イエスさまは、このような状況に置かれたすべての人に、幼子のような者になりなさいと言われます。今日の福音書25節にこう書かれています。
「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」
この言葉の意味は、神の言葉の前には、幼子のようになりなさいという言葉だと思います。自分の考えや知識、利益などを捨てて、子供のように神さまの言葉の御前に立つと、神の啓示と御心を知ることができるという言葉です。さもないと、誰でも律法に縛られた生活から抜け出すことができないでしょう。そしてイエスさまは、ご自分がどんな人なのかを教えてくださいます。
「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません(27節)。」

宗教指導者たちと、イエスさまの反対者たちはイエスさまをけなして、人々を扇動しましたが、それにもかかわらず、イエスさまに従う人は増え、イエスさまの教えは、ますます広がっていきました。それは、イエスさまの教えがどの宗教指導者たちよりも明確で、シンプルですが、深い意味が込められていたからです。なぜかと言えば、イエスさまは神の御子でした。子が父のことを知っているように、神さまについてお分かりになっているからでしょう。律法を覚え、研究して神さまを知るのではなく、父と一緒に住んで、一緒にご飯を食べて、一緒に遊びながら、父を知っていくように、神さまを知っておられました。誰よりも神さまを知る環境におられたのです。イエスさまは、すべての人が子供のように神さまの言葉の前に立ち、ご自分が教えている神さまの言葉に耳を傾けることを望まれました。

28節でイエスさまは、律法によって疲れた者、律法の重荷を負う者は、だれでもご自分のところに来なさいと言われます。休ませてあげようと言われます。人々を神さまの言葉の中で休ませること。それがイエスさまが願っておられたことでした。当時の宗教指導者たちが人々に出した律法は、あまりにも重かったのです。神の言葉の中で休まなければならないのに、その律法の中では休むことができませんでした。それで、イエスさまは、ご自分の軛、すなわち、ご自分の律法を学び、その中で休みなさいと言われます。そして、その律法は、宗教指導者たちが解釈した律法よりも神の御心にふさわしい律法です。子が父を知っているように、イエスさまは律法に込められている神さまの御心を知っておられたからです。私たち信徒たちも、ただイエスさまの言葉の中でのみ、休むことができると思います。この世が与える休息は限定的であり、対価がありますが、イエスさまが与えられる休息は、永遠であり、対価もありません。イエスさまが与えてくださる休息の中で平安を享受してください。

今日の福音書で起こったことは、この世で起こっていることとも同じです。
宗教指導者とその支持者たちが自分たちの利益のために、イエスさまをけなしたように、世の中には、自分の利益のためなら、どんなこともいとわない人がいます。神さまの言葉さえも変えてしまう人を見ると、私たちは、この世が追求している権力と地位がどんなに醜いものかが分かります。目の前の成功のためには、しばらくは真理を隠して、変えることができるかもしれません。しかし、いつかは真実が現れるようになり、自分がやったことが自分を縛るのです。そして、このような人生は真の休息を与えてくれません。自分が負った軛があまりにも大きいからです。そのような生活のために最善を尽くすのは、虚しいことだとコヘレトの言葉は証しています。価値があるもの、永遠なものに最善を尽くしてください。真の休息を与えてくださるイエスさまの中で平安を見い出してください。この世での成功のために最善を尽くす人々はこの世に縛られ、神の国のために最善を尽くす人は、神の国に縛られるのです。イエスさまの中で休息を受ける皆さんになりますように。そしてみんながイエスさまの中で休息を受けることができますように、主の御名によって祈ります。

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