(動画)イエスさまに学ぶ天の国(マタイ13:31~33、44∼52)-2020. 7. 26. 聖霊降臨後第8主日 > 説教

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(動画)イエスさまに学ぶ天の国(マタイ13:31~33、44∼52)-2020. 7. 26. 聖霊降臨後第8主日

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作成者 최고관리자 作成日20-07-25 15:28照会97회 댓글0건

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https://youtu.be/vhLYho17hfY
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2020. 7. 26. 聖霊降臨後第8主日
場所:飯能ルーテル教会
司式:笠原光見牧師
説教:李正雨牧師
聖書:マタイによる福音書13:31~33、44∼52
説教題:イエスさまに学ぶ天の国 

先々週から私たちに与えられた福音書は、天の国についての言葉です。
イエスさまは様々なたとえを通して、天の国が私たち人々にどのように臨むかについて教えてくださいました。普通の人は天国といえば来世を思います。死んだ後に行くところ。そこが天国です。しかし、私たちクリスチャンにとっての天国は死んでから行くところだけではありません。イエスさまは天国についてルカによる福音書17章20〜21節でこう言われました。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

イエスさまの御言葉によると、天国は私たちの間にあります。
死んだ後に必ず行くところではなく、生きている私たちの間にも天国が存在するというのです。それでは、どのように私たちの間に天国が存在しているのでしょうか。イエスさまの時代、イスラエルの人々は、神の国の臨在を待っていました。そして、その臨在を通して失われた自由を取り戻し、神さまと共にこの世を治めることを期待していました。弱者ではなく、強者になるために、神に選ばれた民として、他の国を治めるために、神の国の臨在を待っていました。しかしイエスさまは、神の国は、そのような形では臨まないと言われました。人々が願っている方法で、人々の欲に従って神の国が臨むのではありません。私たちに臨む神の国も同じでしょう。

人々の考えでは、神の国は、特別で、派手で、壮大なところのようです。
この世で触れたこともないものがいっぱいで、いつも宴会が開かれるところのようです。しかし、イエス様が教えてくださった神の国は、そうではありませんでした。選ばれた土地、特別なところではありませんでした。神の国は、神さまの御心が行われる国です。そしてその国のために、神さまはイエスさまをこの世にお遣わしになりました。この世に来られたイエスさまは、人々に神の国を伝えられ、神の御心をこの世で成し遂げられました。イエスさまから神の国が始まったのです。それでイエス様は、あなたがたの中に、すなわち、ご自分がいるところ、ご自分を受け入れる者がいるところに神の国が存在すると言われたのです。神の御心が行われるところであれば、イエス様がおられるところであれば、その場所が天国なのです。

今日の福音書も、このような神の国について語っています。
私たちに臨んだ神の国が私たちにどのような変化をもたらすのか、どのように私たちを導いているのかを語っています。今日の福音書は二か所に分けられています。31〜33節と44〜52節の言葉です。まず31-33節の言葉をみましょう。この言葉の中で、神の国はからし種とパン種に例えられています。私はからし種を見たことがありますが、その種は非常に小さいです。地に落ちると、見えないほどです。ところが、イエス様は天国はこのからし種に似ていると言われました。それは、天国はつまらないという意味でしょうか。そうではないでしょう。

このからし種のたとえには、大きな反転があります。
からし種は非常に小さいのに、この種が植えられて育つと、2-3メートル程度の大きさに成長します。それで鳥が来て枝に巣を作ります。天国がからし種に似ているということは、現在は、目に見えないほど小さいのですが、隠されている本当の力は決して小さくないということです。パン種のたとえも同じです。パン種もやはり見えません。しかし、そのパン種のおかげでパンが作られます。

神の国はこのように私達に臨みます。
見えないほど小さく臨みます。しかし、私たちに植えられた神の国は、私たちの中で大きくなり、膨れます。私たちの生活の大きな部分を占めるものとなり、いつも私たちを神の言葉に従わせてくれるのです。そして、真の価値を知らせるのです。何が一番大切なものか、何を私達が追求しなければならないのかを知らせるのです。私たちがこの世で神の御心を成し遂げることができるように、私たちを導いてくれるのです。

その言葉が今日の福音書、二番目に書かれている言葉です。
44節からの言葉には、三つのたとえが書かれています。畑に隠された宝のたとえ、真珠のたとえ、魚のたとえです。このたとえが私たちに教えてくれるのは、天国の価値を知ることについてです。知らなかったら、天国は、私たちにとって何でもないものでしょう。たまに、知り合いや親戚たちに会うと、うちの子供たちにお小遣いをくださる人々がいます。すると長男は、今では少しずつお金の価値が分かるようになって、「ありがとう」と言ってもらいますが、まだ次男や三男は分からないので、もらうことに関心がありません。小銭ではなく、お札をもらっても、反応はあまりありません。時には、もらったお小遣いをそのまま床に捨ててしまうこともあります。子供にとってお金は、お菓子一個よりも価値のないものなのです。しかし、親はお金の価値が分かります。だから私は、子供たちがお小遣いをもらうと、お菓子を一つあげて、もらったお小遣いをちょうだいと言います。すると子供たちは、千円でも、1万円でも、お菓子と取り換えます。

価値を知っている者と知らない者の違いでしょう。
宝の価値を知っている者は、自分の持ち物をすっかり売り払って宝が隠れている畑を買います。真珠の価値を知っている者も、自分の持ち物をすっかり売り払って真珠を買います。魚について知っている者も、(律法に)良いものと悪いものを区別して、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てます。天国も同じです。天国の価値を知っている人だけが天国を選ぶことができます。知らない人には、お菓子一つにも劣るものが天国なのです。しかし、天国の価値を知っている人に、天国は、どんなものとも交換できないもの、自分のすべてのものとも引き換えることができるものになります。そして、私たちの中の植えられたからし種とパン種が、すなわち、神の国がこの価値を知らせるようにするのです。

イエスさまはこの話を弟子たちになさいました。
そして弟子たちはいつもとは違って分かりましたと答えます。神の国については、弟子たちが確かに理解したということです。この理解を持って弟子たちは、天の国のことを学んだ学者として、他の人に福音を宣べ伝えるのです。時によっては、古いものである法律を通して、時には、新しいものであるイエスさまの言葉を通して神の国を伝えるのです。私たちも、イエスさまの教えを通して、神の国が分かります。目に見えない神の国が私たちを導き、それによって、私たちは、神の国の価値を知ることができます。そして、価値を知っている私たちを通して、神の国が拡大されるのです。私たちの家族や隣人に神の国が伝わるのです。私たちみんなに神の国が臨むのです。皆さんの間に、常にイエスさまが共におられますように。私たちに臨んだ神の国が成長して、みんなに平安を与えますように、主の御名によって祈ります。アーメン

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